住宅の話とは関係がありませんが、個人的に非常に関心をもった
浜崎あゆみさんの左耳突発性難聴ニュースです。
実は、私自身も昨年9月に、まったく同じ「左耳突発性難聴」に悩まされました。
しかも、彼女と同じように約1ヶ月ホッタラカシにしてしまい、治る可能性は低い
と言われていました。当時書いた症状メモをご紹介します。
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二週間くらい前から、なんか耳が詰まるな~、とおもっていたら、
先週から本格的に左耳が聞こえづらくなってきましたーーー。
「耳ほじりすぎなんだよ」
とOちゃんにたしなめられつつも、詰まり感が気になって仕方がないので、
綿棒で連日、ほじほじ、ほじほじ。
しかし、どうにも良くならないどころか、耳の中がブォーっとする感じが
ひどくなってきたので、昨日いよいよ耳鼻科にいくハメに。。。
病院では、頭に音叉をあてられたり、聴力検査や骨伝導テストをやったり。
いろいろやってみて、あらためて右耳に聞こえるものが
左には一部しか聞こえていないのだー、と自覚しました。
もーーーー、コレハ一刻も早く
かっぽじりだしてもらうしかあるまい~!
と施術台へ向かい、耳を差し出そうとすると・・・
「高木さん、のちほどゆっくりお話しますから、しばらくお待ちください」
と、ほかの患者さんの診察がひと段落つくのを待つこと15分。
先生からいわれたのは
「最近、強いストレスはありませんでしたか?」
「あ、ハイ。ありましたかねぇ・・・。」
「う~ん。やっぱり検査の結果からみても、突発性難聴なんだよね~」
「はぁ。」
「しかも、一週間以上経っちゃってるからねぇ。治りにくいかも。」
なんだか、やや大げさなことに。
原因はわからないんだそうです。
特効薬もないから、とにかく安静にせよ、と。
安静にできないなら、入院せよ、と。
いやいや、しますよ、安静に。
それでとりあえず、ステロイド剤と末梢神経の血流を良くするという薬を
もらって、昨晩から飲んでいるんですがね・・・
耳はかわらないけど、肩こりがすごく良くなってる気がするんですが…
どーなちゃうんだろう!?
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茶化して書いていますが、当時かなり不安だったのを覚えています。
わたしの場合は、父の余命宣告がストレスになったストレス性突発性難聴でした。
父は腎臓癌がわかり1ヶ月で手術をしたのですが、手術ではじめて転移がわかり、
そこでこのあまりにも短い余命の宣告。思いもかけない急転直下の展開に、
家族全員が突如として、修羅に放り込まれた瞬間です。
実際に、父の病状が悪化していくのを日々看病で目にしたり、家族と今後の話を
しなければならないとき、左耳の方はボォーと低い音を立てて、徐々にその音が
大きくなっていきます。理性では、「わたしがしっかりしなければ!」と思いつつも、
耳(身体)の方が、聞くのを拒否しようとしていたのかもしれませんね。
しかし、ある日。その症状は消えました。
父を無事送り出した翌日です。
治療にとりかかるのに1ヶ月近く開けてしまった私は、治ることはないのかなと
半ばあきらめていたのですが、ストレスの根源が取り除かれることで、
症状が良くなる(完治・もしくは軽減)というケースもあるようです。
(もちろん、この日から別の「肉親を失った喪失感・絶望感」というストレスが
生じてきたことは否めないのですが。私の場合は、その後再発はしていません)
しかし、あゆにその精神的ストレスの根源を絶て!といったところで、
それは無理なのではないかとおもいますし……。
ただ、本当に「失ってみてわかる五感の大切さ」を思い知った出来事でした。
新年が明けて、またひとつ父のことに気持ちの区切りがついたと思った矢先のこと。
彼女の耳が悲鳴をあげた原因が、少しでも軽減されますように……願って止みません。
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あゆの突発性難聴・突発性内耳障害 [私の体験談]
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コメント
トラックバックにありがとうございました。直る方もいらっしゃるのですね。私のクライアントさんは、まだ33歳ですが25歳のときにスペインで突発性難聴に見舞われ両耳の聴力を失った方がいます。今はすべてを受け入れて『障害は個性です』といって元気に活躍しています。浜崎さんにも乗り越えて生きていっていただきたいですね。ありがとうございました。
トラバされてたので、来てみました。僕の場合も、左の突発性難聴でしたが、二週間入院して毎日朝晩点滴で薬を投与して、何とか治りました。(いろんな薬を入れられたと思うw)聴力は戻ってますが、耳鳴りは今もそのままで、一生連れて行くことになると思います。実際、片方聞こえなくても生きていけるけど、しゃべることは非常につらかったです^^;