「表札」。これまた、なやましい問題である。
今の表札は、日光の手彫り職人さんに彫ってもらったもので、
そこには二つの苗字が彫られている。
ひとつは、戸籍上の姓(夫)。もうひとつは旧姓(妻)である。
我が家は、実は基本的に「夫婦原姓」で今日まできている。
しかし、どのへんが「基本的に」なのかが、
かなり微妙なのだ。
わたしは別に「苗字を変えるなんて、絶対に嫌ッ」というタイプでもないので、
聞いてくる相手の求めるままに、戸籍上の苗字がよいと望まれれば、
そのように夫姓を使ってしまっていたりする。
それなら、夫姓に統一した方が都合がいいじゃないの、と思われるかもしれない。
その通りなんである!確かに都合のいい部分もあるのだ。
しかし、である。
やっぱり都合の悪い部分も、それはそれであるのだ。(ややこしー)
ひとつは、、、わたしの活動範囲での、認知度の問題。
現在、わたしのウロついている世界は、中国関連が半分を占めている。
そこでは、「旧姓」でのワタシが断然認知されている。
それに付随するシゴトでも、これで出てしまっているので、郵便なども旧姓が多い。
これは単に独身時代からの使用によることが原因ではなく、少々特殊な理由がからむ。
その理由とは、「中国、中国語という世界」の中にある。
まず中国では、結婚しても男女とも姓が変わらない(子供は一般的に夫姓になる)。
(もちろん、日本人は結婚したら一方の姓に統一するものだ、と知っている人も多いが
知識としてあるのと実際はやはり別で、わたしを夫姓で認識しようとする人はいない。)
もうひとつは、わたしの旧姓を使った名前の「音」にある。
中国語の標準語には4つの声調があるのだが、わたしの旧姓使用の名前では
見事4文字でその4声調が含まれている。
音の言語-中国語としては、これは聞きやすいし、発音もしやすい。
一方、夫姓の場合、苗字が3文字になる。
中国にも複姓というのは存在するが、極々少数。(有名どころは、諸葛、とか、王陽とか)
現代では男女とも基本的に名前はほとんどが、「姓:1文字」+「氏:1or2文字」
で構成される。(王明、とか、王志宏・・・とか)
このため、日本人の3文字苗字は、非常に認識されにくい傾向にある。
極端な話、(いや実際の話)勝手に省略、もしくは短縮されてしまうのである(笑;)
いきなり省略されると、結構ビビる。
しかも「●●_先生」とか宛名に書いてあると(先生はMr.の意味)、
「せ、先生とかつけるなら、_の部分省略するなヨ~!!!」
とおもわずツっこみたくなる。
などなど、、、いろいろと不都合もあり、原姓は存続しつづけているのである。
(もちろん、それが私自身の意思であることも、当然否定しない)
5年間、姓を併用してきて、思うに・・・
「名前」というのは、本人のものというより、呼ぶ人のためにあるんではないか、と。
名は体を表わす、と言う。
名前は個を識別するためのもの、
つまりアイデンティティーと直結するという考え方も確かにある。
けれども・・・どうだろうか。
自分自身としてどうありたいか、、、というのは、周囲からどうおもわれたいか?
ということにも、大いにつながるのではないだろうか。
呼ばれてこそ、名前。と最近わたしは思う。
だから、呼ぶ人が呼びたいように呼んでくれたら、
それで名前は成立するんじゃないかと思うのだ。
このさきも、私の名前はきっと・・・ひとつにはならないのだろうな、、、と思う。
どれもワタシで、それぞれがわたしの顔みたいだから、ありがたく大切にしたいと思う。
・・・で、表札は、どうするんダ!?
表札問題 [同姓?別姓?そもそもそれって芸名?]
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